ゲームセンターの曲がり角「ブームが風営法の規制を生み出した?」後編
前回の続きです。
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ゲームセンターの曲がり角「ブームが風営法の規制を生み出した?」前編
賭博に関する検挙の詳細
前回は、1980年頃に、ゲーム機を使用した賭博の検挙数が激増した事を、警察白書から読み取ってみました。
ではなぜ、1980年頃にゲーム機を使用した賭博での検挙数が激増したのか?というのが今回の本題。
もう一度、昭和58年の警察白書を見てみると、こんな表が掲載されています。
この表をみれば、直ぐにわかりますが、赤の四角のとおり、激増しているのは、
喫茶店との併設での検挙数
ということがわかります。
ゲーム専業店や、他業種との併設店では、激増していないんですね。
ではなぜ、こうした喫茶店での併設事例での検挙が激増したのか?という話になります。
喫茶店でゲーム機の設置事例が増えたのは、間違いなく、
スペースインベーダー
の登場によるものです。
インベーダーハウスなど、喫茶店にインベーダーゲームを設置するだけで、鬼のように儲かったという話は、今でもよく聞く話です。
このスペースインベーダーが世の中に誕生したが、1978年なので、この頃に全国各地で喫茶店にスペースインベーダーが設置され、一大ブームを巻き起こしたといえます。
インベーダーブームその後
トラックで100円玉を回収にいったら、トラックが動かなくなったとか、タイトーの営業マンがインベーダー売るだけで家を建てたとか、都市伝説も沢山生み出したスペースインベーダーですが、実際には、熱狂的なブームは一過性のものであり、何年も続くものでは無かったと、この業界でも言われています。
儲かった話は本当だけど、一瞬で終わった感じがある、というのはこの業界の先人達は言います。
世の中としてブームにはならなかったけど、長続きして儲かったゲーム機は他にもあるよ、という感じですね。
というわけで、下火になるのもそれなりに早かったという事で、各地のインベーダーハウスでは、なんとかして売上のテコ入れを図るケースが散見されます。
それは、
スコアに応じて、金券やドリンクを提供する
というギャンブル性の高いテコ入れを開始します。
この辺りから、かなり雲行きが怪しくなります。
こうしたテコ入れ自体もかなりの件数で摘発されたと思いますが、実際には、ブームの終息はもっと早かったので、大きな問題とはならなかったのではないか?と考えられます。
さて、困ったのは、インベーダーブームに乗って沢山の筐体を設置した喫茶店のオーナーです。
筐体はあるけど、インベーダーを入れておいてもお金が入らない・・・
というわけで、ソフトを交換しよう!という事になります。
ただ、既存のソフトの殆どは、当然ピーク時のインベーダーを超える売上を出すことはありません。
こうした状況を打破すべく、ポーカーなどのギャンブル性の高いゲームの導入を行います。
ポーカーや麻雀などのギャンブル性の高いゲームを遊んでもらい、スコアに応じて金券やドリンクを提供するという報酬の仕組み自体は残すというケース。
こうした流れで、警察白書の、
56年後半ごろからポーカーゲーム機等技術介入性のない遊技機が設置されるようになり、これが全国的に急激な広がりをみせた。
といった流れになったと思われます。
簡単に考えると、
インベーダブームに伴う筐体数の急上昇 → 空筐体の活用でギャンブルマシン導入 → 摘発事例の多発
といった流れが推測されます。
当然法律的にマズイということを知った上で運営した人もいるでしょうし、機械のバイヤーに勧められるままに購入して摘発された例もあるでしょう。
時には、業者が機械をレンタルで設置して、オーナーは何も知らなかったという悲惨な事例もあるかと・・・
とはいえ、
過剰なブームが生んだ反動
と言ったら、言い過ぎでしょうか?
ゲーム専業店は損しただけ?
先ほどの表にあるとおり、ゲーム専業店に関しては、検挙の件数自体はほぼ横ばいですので、こうした専業店からみれば、
自分達以外の店舗のせいで、風営法の対象となった
と思うのも、気持ちとしてはわかります。
実際に、専業で店舗を運営していた方は、かなり強く抗議したとも聞きますし・・・
営業時間の短縮や、そもそも許可が必要になったことも煩わしいわけで、当然です。
こうした変化は、間違いなくゲーセンに取って「曲がり角」だったといえると思います。
曲がり角から約30年近く経ってようやく緩和方向に向かっていると考えると、緩和というのは時間が掛かるものですね・・・