春は出会いの季節という事で「はじめて触れたアーケードゲーム」を探ってみた
以前Twitterでこんな依頼を頂きました。
@port24ho 別れや出会いが多い季節ですので、そういう事項?で書いて下さる事は可能でしょうか?
— ちゃっきー。 (@KT_ChaCky_BEL) 2015, 4月 7
確かに4月は、出会いや別れのシーズンということで、今回は個人的なお話を書いてみます。
私の履歴書
日経新聞で話題のコーナーに「私の履歴書」シリーズがあります。
今月は、ニトリの社長のお話ですが、色々と話題になっております。
ニトリ社長の「私の履歴書」が破天荒すぎて朝からお腹いっぱいになると話題に
私はニトリの社長のように、波瀾万丈な人生を歩んでいるわけでもないので、特筆して書くこともないのですが、言ってみれば、「ゲーセンに生まれ、ゲーセンに育った」というイメージの生い立ちになります。
父親が創業者で、2代目。バカボンってやつですね。
創業当時、まだ弊社は店舗を経営するスタイルではなく、様々な施設にゲーム機を設置して、売上をあげる、一般的には「レンタル」と言われる業態でした。
ショッピングセンターや、スーパー、バッティングセンター、観光ホテル、旅館など、様々な施設にゲーム機を設置していました。
こちら、北海道にあるホテル「まほろば」さんだそうです。
まさにこんなイメージのゲーセンを、沢山運営していました。
お店がなく、あったのは倉庫兼会社で、そこにゲーム機と会社をおいていました。
その会社があったのが、小学校の通学路上でしたので、学校帰りに友達と会社によってゲームをするという、「ゲーセンには行かないけど、ゲームを遊ぶ」というふざけた小学生ライフを送っておりました。
よくやったのは「怒」というゲームです。
懐かしい・・・
始めてさわったアーケードゲーム
そんな小学生ライフでしたが、もう少しさかのぼって、始めてさわったアーケードゲームの記憶をたどってみます。
時はファミリーコンピューターの発売前にさかのぼります。
当時は、世の中にファミコンが無い時代という、現代っ子からは考えられない時代でした。
ファミコンの発売が、1983年ですので、その前のお話になります。
このファミコン以前にも家庭用ゲーム機はあったようですが、ほとんどメジャーではなく、世の中の子供は「ゲームウォッチ」で遊ぶというのが主流でした。
ゲームをやりたかったら、ゲーセンに行くもしくはゲームウォッチで遊ぶしか無かったという時代です。
そんな中私の自宅には、アーケードゲームの筐体がありました。
それも筐体は父親が自作したという筐体でした。
こんな筐体が、自宅の棚の上にあったのを覚えています。
よく姉の同級生(男)が大挙して、遊びに来ていました。
そりゃ、ゲーセンに行かないとできないことが、できるんだから来るわな・・・
そして当然アーケードゲームなので、基板を入替えたりするんですが、これは流石に父親がやっていました。
それも、会社で使っていた基板で不要になった物を、自宅に持ってきて基板を入れ替えるというなんとも贅沢な遊びをしていました。
そして、記憶にあるゲームで動いていたのは、こちらのタイトル
です。
今はパチンコメーカーとして高名なユニバーサルの作ったゲームです。
詳しくは、wikipediaのリンクをみて頂ければと思いますが、ピエロが迷路を進んでいる記憶があるので、今でも覚えているんです。
なんとなーく、ピエロ、迷路、赤いリンゴが画面にあるゲームを遊んでいた記憶があるので、間違いないだろうと。
それに、Mr.Doの発売日が1982年で、ファミコンが発売される前だったのもなんとなく記憶にあるので、調べてみて記憶の確かさに自信がもてました。
ただ、始めてさわっただけで、やりこんだとか愛着があるわけではないので、改めてプレイしようか・・・という感じではないですね。
Mr.Doの基板なんて、レトロすぎて手に入らなそうだもんな・・・
というわけで、始めてさわったアーケードゲームについて語ってみました。
アーケードゲームの場合は、当時のままに保管されている事が少ないので、記憶とともに消え去ってしまうのは寂しいですね・・・